明治・大正時代の男女別の着物の柄や着こなし方

明治・大正時代の着物について柄や着こなし方などをまとめてみました。着物の柄は西洋をイメージしたものが登場するなど、大きく変化しています。

着物の他に洋服が登場し洋装化の流れが進み、大正時代になると女性も洋服を着るようになります。

大きく変化をした明治から大正にかけての着物について解説しているので、ぜひ参考にしてください。

明治・大正時代の着物

明治・大正時代の着物は、洋服が登場したことにより大きく変化していきます。どのように変化していたのかみていきましょう。

着物の柄

着物の柄も時代の移り変わりとともに変化してきました。

明治時代初期

着物の柄は、幕末からの質素倹約の流れを引き継いで、地味な色合いでシンプルでした。
派手さがないグレーや茶色の色味で、柄も遠目から見たら分からない程度でした。

明治時代中頃

中頃になると色合いは少し明るくなり、紫色の着物が登場しました。
柄の面積は裾近くまでしかありませんが、着物の色合いが明るくなったおかげで、遠目から見ても柄が分かるようになりました。

明治時代後期

後期になるとさらに色合いが明るくなり、青色の着物が登場しました。
柄もさらに目立つようになり、面積も広がっていきました。

大正時代

大正時代に入ると西洋の花をイメージした模様が登場して、色使いも西洋風になりました。
後期になると模様が腰あたりまで入るようになって、柄の種類も多くなりました。

この明治から大正あたり着物の事を一般的にアンティーク着物と言います。

袴が流行

明治・大正時代には、女学生のあいだに袴が流行しました。

「行燈袴」と呼ばれる、中に仕切りのないタイプです。

これは現在でも、日本の伝統として残っていますね?
卒業式などに袴を着る女子学生は、少なくないと思います。

女学校では、明治までは、着物を着るのが普通でした。
しかし大正時代の後期ころから、制服にセーラー服を採用する女学校が増えるようになっていきます。

洋服の登場

文明開化により、西洋の文化がどんどん入ってくるようになりました。
それとともに、洋服も登場することになりました。

華族や政府の要人など、西洋人と接する機会が多かった人は、早々に洋服を着るようになったそうです。

洋服を着ていたほうが、近代化をアピールでき、様々な交渉を有利に進めることができたとのこと。

でも一般庶民は、まだまだ多くの人たちが、着物を着たままでした。
洋服がまだ高かったのと、「日本人は着物を着るものだ」と、多くの人が考えていたからなのだそうです。

洋服が出始めた頃は、外出着や礼服として、庶民でも、男性が洋服を着ることはありました。
でもその場合には、ほとんどが貸し衣装で済ませるのが普通だったとのことです。

洋装化の流れ

男性は、軍隊や警官、鉄道員などの制服が洋服となり、洋装化の流れが着々と進みました。
それに対し、女性は明治時代までは、まだほとんど着物を着ていました。

しかし大正時代に入ると、「女性も着物ではなく、洋服を着よう」という運動が始まったそうです。
現代にふさわしいのは、着物ではなく、洋服だ、というわけですね。

さらに関東大震災では、着物を着た女性が亡くなった例が多く見られたのだそうです。
そこで一気に、女性の洋装化が進むことになったそうです。