吉野間道の着物や帯の買取価格相場と特徴や歴史

着物を持っていてもなかなか着る機会がなくて、タンスの肥やしになっていませんか?
自分で着付けができないからいっそ売ってしまおう、という人もいますね。

そんなときお勧めしたいのが、着物専門買取業者に査定してもらうこと。
歴史的に名を残す凄いお宝だったというケースも多いのですよ。

今回は名妓・吉野太夫が愛した吉野間道(よしのかんどう)の買取価格相場や特徴を紹介します。
ぜひ参考にして下さい。

吉野間道の着物や帯について

吉野間道は名物裂の一つです。
手に取ってうっとり眺めてしまう美しさを持ち合わせています。

華やかな場所でも色無地着物とセットで帯として用いれば、上品な存在感を出してくれるでしょう。

買取価格相場

およそ9万~12万円程度が相場ですが、気に入って手放す人が少ないせいか、中古で見かけることは少なく、新品で販売される場合が多いのが現状です。

そのため状態が良い品であれば間違いなく高価買取されるでしょう。

吉野間道の代表する作家である藤山千春さんの作品の場合、新品の着物や着尺で300万円以上、名古屋帯の場合25万~40万円以上で販売されています。
多く出回っている訳でなく、すぐ売り切れてしまう状態です。

たとえ有名作家の制作物でも、買取する場合、シミ、シワ、臭い、汚れ、カビなどがあれば査定額が下がってしまいます。
ただよほどでない限り、買取拒否されることはないでしょう。

時間がない人でも店頭にわざわざ持っていかなくても、メールでの査定や出張査定してくれる業者をお勧めします。

またいくつかの業者から複数見積もりを受けて、一番高く買い取ってくれる業者に決めるのも賢い方法です。

特徴や歴史

間道(かんどう)とは、名物裂の一つで中国から入ってきた縞柄の絹織物のことを意味します。
吉野の縞という意味です。

千利休や今井宗薫などの茶人も好んでいたと言われており、中国由来という意味で、漢島・広東などと表記される場合もあります。

吉野間道は縦糸を太いものと細いもの1本ずつ使用して織られており、横糸と交差した状態が少しずつ柄になるのです。

寛永の三大名妓と言われ圧倒的な美貌と知性を兼ね備えた吉野太夫に、江戸時代前期の京都の豪商である灰屋紹益が贈ったと言われています。
打掛に用いていたという説もありますが、定かではありません。

灰屋紹益の吉野太夫への思いは強く、吉野太夫が26歳の時に身請けして妻にしたほどです。
30代後半で太夫が亡くなった時は、位牌を酒に混ぜ、忍んで泣いていたという説もあります。

そんな切ない恋物語がデザインにも生きていると思えば、より美しく見えてきませんか。

吉野間道は無地の着物をも映えさせるほど、独特のデザインと風合いを持っているため、名古屋帯、小物、ネクタイ、袋物としても使用されています。

人気が高かった吉野間道ですが、一旦後継者が途絶えて世の中から消えてしまいました。
その後日本を代表する染織家で、女子美術大学学長だった柳悦孝氏の手によって蘇り、その一番弟子でもある藤山千春さんの吉野間道が人気で希少価値が高いと言われています。

藤山千春さんは東京都品川区大井町に工房を構えており、現代に吉野間道を広め継承しているのです。

18歳で初めて織物をスタートしてから現在まで、藤山千春さんの作品は他の追随を許さないほど、モダンにアレンジされ、それでいて女性らしく凛とした強さを感じるものに仕上がっています。

ルーツに八丈島の機織り職人を持つ藤山千春さんですが、今では藤山千春といえば吉野間道と言われるほどです。

木々から染料を抽出し全てを天然染料で染め上げる手法で、機械のように大量生産できるものではありません。

工房は見学を受け付けているので、気になる人は問い合わせて見てくださいね。

吉野間道は入手困難で大変価値のあるとされています。
手放す可能性のある人は良い状態で保存しておきましょう。