奈良時代

奈良時代というと、聖徳太子の時代です。
聖徳太子は、昔は1万円札に使われていましたので、その様子を覚えている人も多いのではないかと思います。

奈良時代になると、中国大陸から仏教が伝来します。

また遣隋使を送るなどして、中国文化を積極的に取り入れましたので、当時の中国、隋や唐の影響を色濃く受けているようです。

ですから着物も、当時の中国のものと似ていて、前合わせで、帯を締めるのが一般的な構成だそうです。
衣服については、「大宝律令」などの法律でも、詳しく決められていたそうです。

衣服が法律で決められるとは、スゴイことです。
でも当時は、衣服の持つ役割がそれだけ大きかったのかもしれません。

衣服令の内容

その衣服令では、まず朝廷で着る服のことが定められているそうです。

  • 礼服(らいふく)
  • 朝服(ちょうふく)
  • 制服

の3種です。

礼服は、大嘗祭や元旦など、重要な祭祀のときに着る服です。
朝服は、月に一度の「朝会」と呼ばれる祭り事をするとき、それから「公事」と呼ばれた、やはり重要な祭り事を行うときに着る服です。

制服は、朝廷で特別な地位にはいない、官人と呼ばれる人たちが、公事の際などに着る服だそうです。

それぞれ、形や色は、地位や役職により、違っていたとのこと。
当時の礼服と朝服には「襖(おう)」と呼ばれるものがあり、これは位により、色が違っていたそうです。

ちなみに襖は、聖徳太子が着ていたような、腋線を縫わない服のことで、後の時代の朝服である「闕腋の袍」と共通点があるそうです。
ただし襖には、闕腋の袍にある、襴(らん)と呼ばれる、裾の横布はなかったとのこと。

武官は、腰を固定するのに、革製の帯をしていたそうです。

文官は、礼服に襴がついていたそうです。
これは、後の時代の「縫腋の袍」の原型になったとされています。

ただし以上は、あくまで朝廷に出入りする、貴族たちの衣服です。
朝廷とは関係がない、一般庶民も多数いたと思いますが、その人達の衣服までは、ここでは定められてはいません。

また『続日本紀』には、
「初令天下百姓右襟」
と書かれている一節があるそうです。
719年に発令された法律だそうで、
「着物は右前にしなさい」
という意味だとか。

それまでは、日本の着物は、男性も女性も、左前が普通でした。
しかし当時の中国が右前だったとのことですから、日本もそれに合わせたものと考えられているそうです。

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