縄文・弥生時代

和服の歴史はとても古く、縄文、弥生時代にまで遡るのだそうです。
縄文時代といえば、もう1万年くらいは前ということになりますね。

縄文時代の和服

どうして縄文時代のことなどが解るのかといえば、遺跡から出土しているものから推測できるのだそうです。
もちろん、衣服そのものが、出土しているのではないみたいです。

それはもちろん、そうですよね。
1万年前の衣服などは、時間がたつうちに腐ったり、風化したりしてしまうと思います。

一つには、当時のアクセサリーが、遺跡から出土しているのだそうです。
石や、貝で作られていたみたいです。

1万年前でも、やはりアクセサリーを、身に付けたりするのですね?
そういう話を聞くと、「人間は変わらないものだな」と思います。

それから「土偶」ってありますね?
縄文時代の人形のようなもので、ちょっと宇宙人のような形をしています。

土偶には、身体に様々な装飾が刻み込まれています。
そこからも、縄文時代の和服について、推測することができるようです。

ただし土偶は、果たして当時の実際の人間を表現したものなのかどうか、はっきりしないところがあるとのこと。
もっと抽象的なものになっているわけですね。

ですから土偶に施されている模様が、当時の人が来ていた和服を表しているとは、みなし難いとのこと。
なかなか難しいものですね。

でも縄文時代には、「布」があったことは確かなようです。
布の断片や、あとはヒモのついた袋のようなものが、縄文時代の遺跡から出土した例があるそうです。

それらの布は、アサやカラムシだったそうです。
まだ絹は、なかったのでしょうか?

ですので、縄文時代にも、少なくとも植物の繊維から糸を紡いだり、そこから布を製造したり、そういう技術はあったようだとのことです。

だから縄文時代の人も、それらの布で作った何らかの衣服を、着ていたとは考えられるそうですが、それ以上のことは、「わからない」のだそうです。

弥生時代

弥生時代の和服についても、詳しいことは分かっていないそうです。
衣服が遺跡から出土している例は、ほとんどないみたいです。

ただし、弥生時代のことについては、中国の歴史書に、記録が残っているそうです。
『魏志倭人伝』って、聞いたことがありますね?
そこに絵入りで、「倭国」、すなわち日本のことが書かれているとのこと。

その魏志倭人伝の絵を見ると、倭国の人は男性です。
百済、新羅の人たちと並べて書かれているのですが、背は低く、肌は浅黒く、ヒゲモジャで、百済や新羅の人たちより、はるかに不格好な感じです。

白地に緑と赤で花のような模様が付けられた白い布を、肩から羽織り、胸の下のところで結んでいます。

赤い色の帯をし、下半身も、やはり腰に長い布を巻き付けて、下に垂らしたようになっています。
今の和服とはだいぶ違うみたいですが、「布を巻き付ける」というあたり、これが和服のルーツに当たるのかもしれないですね。

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