古墳・飛鳥時代

古墳時代になると、それ以前よりもずいぶん詳しく、当時の人達がどのようなものを着ていたのかが分かるようになるようです。
それは、「埴輪」が出土するようになるからです。

埴輪は、古墳から出土するものなのだそうです。
古墳は、当時の豪族たちの墓だと考えられていますから、この埴輪も、それら豪族の人や、その関係者を模したものだと考えられるわけですね?

埴輪を見ると、古墳時代の和服は、上下で分かれた2部式になっていたようです。

男性は、上着を来て、下はズボンのように足ごとに分かれた、ゆったりとした袴で、膝の下をヒモで結んでいます。
女性は、やはり上着に、下は「喪」と呼ばれる、ロングスカートのようなものです。

襟は、男性も女性も左前で、「上頸」と呼ばれる詰め襟の形式です。

埴輪は、ずいぶん大雑把な作りなので、それ以上細かいことは分かっていないみたいです。
素材はどんなものだったのか、色や柄はどうだったのか、などについては、不明だそうです。

でもそれだけでも、当時の衣服について、ずいぶんイメージできますね?
弥生時代の、魏志倭人伝の絵に描かれているものに比べれば、ずいぶん上品になったと思えます。

飛鳥時代

飛鳥時代に入ってくると、当時の和服について、さらにハッキリとしたことが分かってくるようです。
壁画が描かれるようになったからです。

高松塚古墳のことは、名前は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
そこには極彩色の絵が、壁に描かれています。

おそらく他の古墳にも、壁画は描かれていたと考えられているようですが、現在まで残っているのは、飛鳥時代のものとしては、高松塚古墳だけのようです。

男性の絵も、女性の絵もあり、当時の和服がどのようなものだったのか、よく分かります。

壁画の他には、『日本書紀』も、当時の和服を知るための材料になるそうです。
日本書紀にも、当時人々がどのようなものを着ていたか、書かれている部分があるからです。

飛鳥時代、男性も女性も襟は「左衽」と呼ばれる左前だったそうです。

やはり古墳時代同様、男性は上着と袴、女性は上着と喪の2部式で、帯で止められ、上着の裾は、袴や喪の中に入れられず、外に出て、垂れ下がるようになっていたとのこと。

また帯は、革ではなく、織物であったと考えられているそうです。
やはり絵が残っていると、ずいぶんハッキリしたことが分かります。

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